朝から「水俣病患者から意見を聞く」という会合の模様がテレビで繰り返し報道されています。
一団体に与えられた発言時間は3分。それを過ぎたらマイクのスイッチが切られるということだったようです。一人の高齢男性が水俣病の症状に苦しみながら亡くなった妻の言葉を訥々と述べている最中に音声は消されてしまいました。
何度も何度も「3分過ぎております。意見をまとめてください」と促す司会者(環境省職員)の声が繰り返されます。
あなたは3分で過不足なく言いたいことの要旨を表現できますか?私は自信ありません。どうしても枝葉の話をしてしまうからです。その枝葉の話こそ聴いてほしいことであり、だからどうしてほしいこうしてほしいという希望の前に『わかってほしい』という気持ちが先立つからです。公式の会合での発言に不慣れな一般庶民であれば、そうなるのは仕方がないことではないでしょうか?
会合終了後に参加団体から怒声にも近い非難の言葉が投げかけられているにもかかわらず、平然と終了体制に移行する環境省の職員や大臣の態度に落胆のため息しか出てきません。
「人の感情や想いを踏みにじることに痛みを感じないのだろうか?」という憤りと「奴らならそんなことでしょう」という諦めを伴う失望で気分がますます沈んでいきます。
関係者の声を聴く会合なら、単に「聞く」ではなく「聴く」姿勢で臨む心は持てないのでしょうか。
この国の低迷と混乱の源が那辺にあるか、垣間見えるようなニュースでありました。
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