どの立場で自分を考えるかで左右される判断

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 前の記述で「あなたはどの立場で自分を捉えますか?」ということを問うてみました。

 『人間』という立場に立てば、人間として成立できるような思考や言動が求められるでしょう。

 『動物』という立場に立てば、人間として求められる何かが欠如しているかもしれません。

 『生物』という立場に立てば、人間や動物として捉えるよりももっとそぎ落とされた判断になるでしょう。

 『地球上に数多存在する物質の一個』という立場に立てば、判断はシンプルかつ明快ですが「考える葦」である人間がこの立場に立つということは不可能と言わざるを得ません。なぜなら「自分は何者か?」ということを考えることから解放されるには「考える頭脳」を失うしかない、それは限りなく死に近い状態であろうと思うからです。

 自分はどの立場で考えたり行動したりするのかを判断するということは、一度立ち止まって考えることも大切だと思うのです。

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このページは、tsuyuが2024年8月28日 08:08に書いたブログ記事です。

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