「右肩上がり」でもなく「右肩下がり」でもなく

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 長らく手つかずのままにしていた部屋の片付けをしています。

 近年『断捨離』という言葉で身辺整理のススメが流行しましたが、ここにきてその考え方も人それぞれに落ち着いてきた感があります。片付けられる人もあり、片付けられない人もあり、人はそれぞれだから成り行きとしては当然のことのように思います。

 過ぎた過去の物の片付けは切ない感情を呼び起こし、精神的にはとても負担の大きい作業です。そうした負担を先延ばしにしないためにも、日々をシンプルに暮らすことがどれほど大切かを痛感するこのごろです。

 思えば長い間この世に生存してきたものだなあ......と、自身の年齢を改めて確認すると感慨深いものがあります。懸命に生きてきたので、ほとんどのことは記憶に残っていません。記憶というのは自分の中で自分なりに作られたイメージの積み重ねなので、覚えていなければならないというものでもないでしょう。私の人生は前を向いてガムシャラに進むしかない人生であったし、これからもそのままのような気がします。

 さて、話は飛んで人類のこれからに思いをいたすのですが、今現在、世界各地で破壊行為や破滅的思考が力を得て好き放題の状況です。

 これまでは、新発見とか新開発とかが次々に実現されて、人類の行く手は「右肩上がり」が当然のような気がしていましたが、このごろそのことに疑問を感じています。では、人類は破滅に向かうという否定的な思考になったのかというと、そうでもありません。

 「なるようになる」「なるようにしかならない」......良くも悪くもこの言葉に行き着いてしまいます。

 次々に眼前に展開する状況に対応しながら、アタフタと時間をやり過ごしているうちにハッと気づくと The end(いや、ハッとも何も、本人は気づけるはずはありませんが:笑)。

 このあと何年あるかわからない自らの人生を、淡々と引き受けていこうと思っている私です。

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このページは、tsuyuが2024年9月 4日 04:23に書いたブログ記事です。

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