前職で働いていた頃、私は職場のヒエラルキーでいうと最下層の立場でした。職業に貴賤無しの考えを持つ私としては、どんな種類の仕事をしていようが、職務を誠実に着実に果たしていれば人間として貶められるいわれはないと思っているので、上から目線で見下されても自尊心を損なうようなことはありませんでした。
そんな立場の私ですから、あからさまな蔑視的態度を示されることがしばしばありました。そんな時、「この人は何を根拠にこういう態度に出ているのだろう?」ということが私の人間観察の興味関心をひき、その言葉や動作の端々に表れる「人間の傲慢心理」をできる限り客観的に解読しようとしていたように思います。
なぜこのような行動をするのか?と、人間の思考や行動の根拠を探ることは翻って我が身の処し方に反映されるものでもあります。
その一つに「挨拶」の仕方があります。
同じ朝の挨拶でも「おはようございます!」と歯切れよく言われるのと「おはようございまーーーーす⤵」と、さいごの「ま」をのばす間延びした挨拶をされるのでは伝わる意味合いが異なります。同じ「はい」でも「はーーーい⤵」と言われるとどのように感じますか?もちろん、相手との親密さや好意的状況の有無で受け止め方は違ってくるとは思いますが。
今日、ある飲食店で食事を注文しました。店員さんが「注文いただきましたーー!〇〇でーーす!と語尾をのばしていましたが気になりませんでした。きっとそこに差別的な感情は伴っていないことが前提のシチュエーションだったからでしょう。
言葉面は同じでも、内心によこしまな感情があると、その悪感情は相手にしっかり伝わっています。
言葉を間延びさせる際にはよくよくそのことをわきまえたほうが良いと思っています。
ま、できれば言葉は『シャッキリ・ハッキリ・スッキリ』でいきましょう!
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