声をかけることの大切さ(その3)

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もともと大声を発する国民性ではなかったのかもしれませんが、新型コロナの自粛期間を経て、要不要にかかわらず、ますます日本人は声を発しないようになったと感じています。それは意見を述べるという比喩的な意味においても、また、実際の発声においてものことです。この感想はあくまで私の移動範囲での経験によるものですが。


私はキャスター付きのシニアバッグを使うようになって、可能な限りエレベーターやエスカレーターを利用するようになりました。かつての私は丈夫で力持ちが持ち前の売りだったので(あくまで自覚的に)こうした乗り物に頼らない移動を選択してきました。ところが、手提げバッグやショルダーバッグを使うと体への負担が大きいと感じるようになったこととシャキッと背筋を伸ばす姿勢ができないことが分かったのです。個人的な信念ですが、心身の健康は姿勢の維持から......と思っているので、思い切ってキャスター付きのシニアバッグに替えたのです。


そしてここからが「声かけの大切さ」に関連してくる話ですが、エレベーターに乗る際のできごとです。


私が利用するエレベーターは駅構内のエレベーターの話になりますが、最近はベビーカー利用者の乗降が多くなりました。私の子育てはおんぶだったし、小さな子供を連れての遊びの遠出外出は避けていたので、最近の若い人たちがベビーカーでどこでも外出している様子を見て「うらやましいなあ」と思っています。


さてベビーカーが2-3台乗ったエレベーターが降りてきた時、箱内のだれかが『開く』ボタンを押して皆さんの降車を援助しています。それに気づいて以来、乗車を待つ側がボタンを押せば良いと思った私はボタンを押すようにしています。その時、私がボタンを押していることが伝わらなくては中の人も安心して降車しないだろうと思い「外でボタンを押してますから安心して降りてください」と声かけするようにしているのです。


また、エレベーターに乗り込んで『閉める』ボタンを押す時にも「閉めていいですか」と声かけするようにしています。後続を確かめずに『閉める』ボタンを押されて「オットットー」という場面を何度か見たり経験したからです。


こうした声かけはなかなか良い状況を演出できていると、これは自己満足に過ぎませんが。



ここまで読んでくださった方はもうお気づきかも知れませんが、そうです私のやっていることは「仕切りや」です。(こうすればスムーズに進めるのに)と思うと声を出したり行動したりせずにはいられない性格です。でも、眼前の状況が危うい方向に向かいかねないと察した時に見て見ぬふりして立ち去るのは極力避けたいのです。あくまで、周囲と自らの安全を考えたうえでの行動になりますが。

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このページは、tsuyuが2024年5月 1日 12:35に書いたブログ記事です。

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