最近眺め読みした文章に「年齢は単なるナンバーとしか考えていない」という記事があり、大いに共感を覚えた次第。
高校生の頃、家族や親せきと写った私の写真を見て息子が「お母さんはこのころと見た目ちっとも変っていないね」と感想をもらした。
良い方に考えれば(高齢者になった今も高校生並みの見た目を保っている)と受け止めようと思えば受け止められるが、別な見方をすれば(若い頃から老けていて、いまやっと見た目に年齢が追いついた)とも言える。息子が感じたのは後者の意味。そりゃそうだね、納得だよ本人も。
これまでの私は自分の年齢を数えてそれに見合った思考や行動を選択する生き方をしなかったように思う。年齢に自分の行動を合わせるなんてしていられなかったし、する気も無かったと言える。いつもどんな時にも、わたしは私で生きてきた。極端に言えば、私の脳内はいまだに10代のころと変わりない。
それにしても、今年の3月はさまざまなことが重なりアタフタとした。時間的にも経済的にも負担のかかる出来事が相次いだ。忙しかった。
「年齢高くなったら世間から相手にされなくなって、退屈な毎日を過ごすのが人生」なんて、私にはいつ訪れるのだろうか。しかし、それもまた楽しいと思えば忙しさも苦にならない。そう思えるのも心身に不調がないからであって、有難いことだと感謝する日々を送っている。
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