1年前に起きた「園児をバスに放置致死」と同様の事案が再び発生しました。
この事件に関して真っ先に思うのは最終確認はしなかったのか、ということ。
運行終えて車庫に帰った路線バスや観光バスの会社の運転手が車内を丹念に最後尾の座席まで確認する作業の様子をテレビで見たことがあります。また、電車は最終駅で乗客を降ろした後に乗務員が全車両を歩いて見回り、残っている乗客や落とし物などの車内の状況確認に全車両内を歩いているのをしばしば見てきました。
これらの行動は、乗客を運ぶことを業務にしている人たちにとっては当たり前のことだと思ってきました。
また、集団で行動することの多い日本人の団体では、行く先々での点呼やメンバー確認は当然のこととして行われます。
それは『常識』だろうと思っていたのですが、そんな基本的なことすら改めて指摘指導されなくてはできない人が増えているということでしょうか。
最近の市中を歩いていても、過去において『常識』『当たり前』と思っていた何気ない行動や言動すら通用しない場面に遭遇することが多くなりました。
「登園すべき子供がいない」ことに気づけない子ども施設があるなんて、信じがたい事態だなあ......と思っています。担任が自分の受け持ちの子供がいるかいないかに気づけないというのは、個々の子供への関心の薄さ(愛情の薄さ)ではないかとまで思ってしまいました。
亡くなったお子さんのことを想うと、どんな言い訳もできないことだと言わざるを得ません。取り返しがつきません。
コメントする