私は過ぎ去ったことはほとんど忘れてしまっていて、当時どんな状況だったのか何をどうしたのかなど詳細に思い出せません。考えられる原因としては、その時々において個人生活に発生した事態の責任者として対処に追われていたことが大きいと思っています。ほとんど全ての場合一人で対応してきたので、第三者として眺める余裕はありませんでした。今でも私の頭の中は『今』と『これから』でいっぱいで日々の経験を反芻している時間がありません。これは生活援助者のいない土地で暮らしてきたシングルマザーだからということも大きいと思っています。
それは自分が覚悟して選択した生き方なので、私は納得して立ち向かってきました。しかし、二人の息子に与えられなかった物や事については後悔することが多いです。二人には辛く寂しい思いをさせてきたことを、今になって申し訳ないと思っています。
振り返ってみると、次々に押し寄せる問題に向き合いながら、「世の中はこうあってほしい」と考えたことが幾つもあります。当時は周囲の理解を得られなかった私の問題意識でしたが、最近になって次々に、私がかつて「こうあってほしい」と思った問題点が社会の論議の対象として取り上げられるようになりました。その論議が今後、社会的弱者への困難に援護の陽があたるような結果となってほしいのですが......さあ、どうでしょうかね。
今回の新型コロナウイルスのパンデミックに伴い世界中で生活困窮者が増えていると言われています。それらのニュースに接しながら日々切ない思いのこのごろです。
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