いま『人新世の「資本論」』斎藤幸平:著(集英社新書)を読んでいます。
そもそも、マルクスの「資本論」の存在は知っていても読んだことはないし、共産主義に対するネガティブなイメージから読みたくもない本だったと言えます。
まあ、読んでも私には理解できないだろうな...と端っから決めつけていたというのが正直なところです。
そんな私が、最近話題の本として紹介されているこの本を手に取り読み進めるうちに、以外と分かり易く共感できる内容に触れて色々様々考えています。
ーーー資本主義の生産活動とは自然界に存在する物質Aを生産活動で物質Bに変える行動だといいます。もし、物質Bが目的の役割を果たしたのちに物質Aに戻らなければ地球上の物質Aの量は減少するばかりで自然界のバランスは大きく崩壊していくしかない。そのことの及ぼす影響は人間の生存にも大きく影響していくーーーこれまで読んだところで、私はそんな理解をしました。まあ、これほど単純な話ではありませんが、私の理解能力が捉えた限りの理解です。
そこで、物質の話ではないのですが、最近の「自動化」ばやりの風潮についてです。
AIの導入により何でも自動化して人間の負担を無くしていこうという生産活動の方向性について、私は次第に疑問を感じ始めていました。何でも機械やロボットにやらせて生じた余暇や体力を人間は何に使いたいのか?それは究極のところ「人は何のために生きるのか?」という問いへの答えが求められることです。
資本主義の生産活動が物質Aを物質Bに変えるというパターンに当てはめた場合、人間の思索活動や体を動かす労働がAIやロボットに取って代わられた後の人間の内面や体力は空っぽになるのではないか...。そんな、不安を伴う妄想が湧いています。
この本の中で気になっている言葉に「脱成長」という言葉もありました。人間の限りなき欲求に応えて、このままどこまでも右肩上がりの生産性向上を追い続けた先に待ち受けている時代とはどんな時代でしょうか?
ま、そんな流れの結果を見届けるまで私の寿命があるわけではありませんが、少なくとも現在の社会の方向性やあり方に大なり小なりの影響は受けていると感じているので気になるところではあります。
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