先日ふと頭に浮かんだのは「バカにされると小ばかにされるのどっちが腹が立つ?」ということ。
どっちも気分の良いものではないけれど、私の直感的なイメージでは、どちらかと言うと「小ばかにされる」方が腹立たしいかなという結論。
「バカにされる」場合は一対一での優劣感情だと思えば、「バカにされる」側の受け止め方次第で精神的または社会的なダメージは小さく抑えられることもある。
一方、「小ばかにされる」場合は「小ばかにする」側の背後に複数の合意があるようで、この場合は執拗に日常的に攻撃を繰り返され、その対象にされた人間の精神や社会的立地を壊されていく気味悪さがある。これはイジメにつながる悪質な行為だと思う。
でもこれ、自分は普通だと自覚する多くの人が大なり小なり日常的にやっているんだよなあ・・・
「バカにする」のも「小ばかにする」のも、自分が優位にあるとか自分の意識の方が普通であるという狭量な自己中判断から生じるのだろう。
大切なのは、常に自分の視野を広げる努力を続け、自らの判断を繰り返し見つめなおしつつ、生きることに謙虚な姿勢でいることだと思う。
私は自分の生きる指針として、いつも思い起こす言葉がある。
「真実一路の道なれど、真実、鈴ふり、思い出す」 山本有三『真実一路』扉の言葉。
これは山本有三が自分で考えついた言葉と思っていたけれど、実は、気に入って何度も反芻して覚えていた北原白秋の詩の一節だったそうだ。
出典となった白秋の詩は・・・
真実、諦め、ただひとり、
真実一路の旅をゆく。
真実一路の旅なれど、
真実、鈴ふり、思い出す。
ーーー北原白秋「巡礼」よりーーー
「バカにされ」「小ばかにされ」つつも、私がここまで生きてこられたのは、山本有三の『真実一路』の本で知った上記の言葉に支えられたことが大きい。
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