表題の本は、先日私が古書店で何気なく手にした一冊です。"何気なく"というのは間違いかもしれません。おそらく、新型コロナウイルスが収まりきらない中で抱いている"不安"がこの本に手を伸ばさせたのでしょう。
読んでみて驚きました。この本の刊行は2003年ですが、まったく古さを感じないどころか現在のコロナ禍にあてはめて読んでも違和感のない内容なのです。
この本が刊行された当時は新型インフルエンザの拡大が話題になっていた時期のようですが、パンデミックに呑み込まれる不安はいつの場合にも共通のものと言えるのでしょう。
内容の中で一番私の心を捉えた表現があります。『無魂洋才』という言葉です。これはおそらく五木寛之さんの造語かと思うのですが、日本という国は黒船に扉をたたかれて後ずっと、この『無魂洋才』で突き進んできたのではないか。日本人の魂(アイデンティティ)をかなぐり捨てて、ひたすら欧米の技術や思想を取り入れることに専心することで明治以来の日本の経済発展や文化の変革を実現してきた。しかし、近年の日本の不安定さを見ていると、それぞれが拠るべき魂(アイデンティティ)を失っているように見えると・・・
『無魂洋才』は五木寛之さんの造語でしょうが、もとは『和魂洋才』であって、日本の心を持ちながら欧米の文化文明を積極的に取り入れて国力を高め世界に飛び出ていこうとする日本人の意気込みを示す言葉だったのでしょう。ちなみに明治以前は『和魂漢才』だったようです。『和魂漢才』『和魂洋才』いずれにしても『和魂』は原則だと思っていた日本人の誇りが感じられます。
ではなぜ五木さんは『無魂』としたのか。拠って立つところの精神的支えを見失ってしまった現代日本の不安定さを『無魂』という言葉で表現しています。でありながら、『洋才』ばかりははびこっている日本の姿をピタリと表現していると感じて心に残りました。
不安はなくなるものではないし、無くそうとしなくても良い。
絶対安心の状態とは非現実的であり、もしそのような状況が瞬時訪れようとも、人間は直後から、その安心を失うことへの不安が始まり、さらなる不安にさいなまれ始めるものである・・・と。むしろ、不安があるからこそ次の段階への一歩を踏み出そうとする意思意欲が生じるのではないか。人間は過去から、そうして生き延びてきたのではないかということのようです。
不安を否定的な言葉として捉えるのではなく、先へと歩みを踏み出させる要素とする。それがタイトルである「不安の力」という意味だと受け止めました。
コメントする