今回九州を襲っている洪水被害には言葉が見つかりません。新型コロナウイルスが収まりきらない中での自然災害ということもあり、度重なる国難に立ち向かうにはどれほどの覚悟が求められるのでしょう。
子どもの頃に読んだ本から知った「治山治水は国の礎」という言葉は、こうした自然災害のたびに私の脳裏によみがえります。自然豊かな国であるがゆえの自然災害の多発ですが、そこから先達たちは治山治水の重要性を学び、それを後世に遺言のように書き残したのだと思います。そうした先人の教えをないがしろにすれば、これからも同じような災害は続くでしょう。
いったい社会は良い方向に進歩したのでしょうか?技術の革新や富の蓄積ばかりが右肩上がりの発展を遂げても、自然災害には通用しません。自然相手の出来事は泥臭い地道な作業の積み重ねです。小綺麗なオフィスワークの就労者ばかりがもてはやされ、それこそが『仕事』だとされる時代にずっと不安を抱いてきました。作業服を泥や油で汚しながら現業に携わる職業を3Kと蔑む風潮に違和感と拒否感を感じてきました。「治山治水」の仕事は、そうした3K作業が基本です。だから、今の時代に「治山治水」は放置されている問題なのです。
この国は、これからゼロからのスタートと腹をくくれるでしょうか。地を這うように額に汗して国土を守るという考えを基本に、文字通り「地に足を付けた」あり方を模索できるでしょうか?
その為には、現場を知る者が国の運営を決定する場に参加しなければならないと強く思います。先祖の威光や口先八丁で権力の座をせしめた人間に国のかじ取りを任せなくてはならない選挙の仕組みしかないことに絶望を感じます。
私たちの国土が自然豊かであることに感謝しつつ、その美しさに安らぎを覚えつつも、悪意なき自然の猛威に畏怖と畏敬の念を忘れないようにしなければならないと、心から思うのです。
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