↓の記事に、近所の知人女性に「エクセル教えて」と言われて困った話を綴りました。その後、彼女に出会った時に「無理です。ごめんなさい」と伝えて、この話は終ったと安堵しておりました。ところが、昨日の朝、またまた彼女に出会って駅まで同行されてしまい、その間、エクセルの話で食い下がられてしまいました。
私「教えてと言われても、私は会社のPC専門部署のサポートを受けながらやっとこさっとこ使っているのだから無理なんです」
私「例えば、ATMは誰でも操作できるけれど、ATMの機能設定はできないということで、私はATMを使うだけの人という感じです」
彼女「あゝ、わかる、わかる。そうなのね」
彼女「娘(コンピューターの仕事をしている)に教えてって言うと邪険な返事が返ってくるのよ。だから、『あなただって何もわからない初心者の時があったでしょうに』って言ってやるのよ。ねえ、ひどい言い方でしょう、そう思わない?自分もわからなかった時があるんだから、もう少し親切に教えてくれたって良いじゃないってね」
この話は無理な頼みで、彼女には私から拒否されていることに気付いてほしいのです。正直、出勤の朝、犬の散歩がてらに世間話を仕掛けてこられるのは迷惑なのです。昨日は途中で犬が落とし物をして、その始末をする間も話を止めないので、彼女が落とし物を拾う間も足を止めてつき合わされる始末。
『あなただって何もわからない初心者の時があったでしょうに』←???????えーッ!私もそれを求められているわけ?
そりゃあ誰でも初心者の時期はありますよ。でも、そこから操作を身につけるまでには、どれだけの汗と涙とお金が必要となるでしょうか! その結果の現在が到達点ではなく、未だに試行錯誤しながら生活の為の仕事に必要な道具としてコンピューターを扱っているわけです。帰宅すれば、もうコンピューターと向き合いたくもない向き合う心身の余裕もないというのが本音だと、彼女に分かってもらえないのでしょうか。
彼女に言いたい「そんなに時間に余裕があってエクセルでもやってみようかしらと思うのなら、どうぞ、しかるべき受講料を払ってしかるべきエクセル講座をご受講くださいませ」と。ただし、「何に使うかの目的も無ければ、なかなか覚えられないかもしれませんよ」とも。私も必要に迫られて覚えたわけですから。
自分の都合に合わせてしか他人を見られない人なのでしょうね。
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