先日、仕事帰りの電車内でのことです。
幸い座席を確保できてホッとしていると、近くの座席から、何かを喚いているような声が車両内に響くようになりました。図太いだみ声の男性の声です。どうやら外国人が携帯電話で話しているようなのです。
車両内の他の乗客が静かなので、彼の声はとても気になります。でも、誰も彼に非難の視線を投げるわけでもなく、まして、注意などしようとする気配もありません。
そんな中、私は声の主がどんな人なのか確認しようと横を見るために身を乗り出して(彼は私の席の左横、扉を挟んで隣の座席)みたり、何度も表情で「困ったもんだ」を表してみたりしていました。
(これは注意しなくてはいけないよね)と思い始めたらたまらなくなって、車内に貼ってある「車内では携帯電話での通話はご遠慮ください」の注意ステッカーを見に行き、どうのような英文が記してあるか確認しました。携帯通話を止めるように彼に英語で注意する為に英文表現を確認に行ったのです。
でも、結局は、彼の真ん前に席を替え、時々チラチラと彼のほうに非難の視線を向けるだけで、降車まで彼に声をかけることはしませんでした。
私が彼の声を気にしてウロウロしていると、何人かの乗客に同様のこと(迷惑だ)を感じている様子が見られました。やはり多くの人が気になっているのです。
結局、私が同乗していた20数分間、彼は話し続けていました。その後のことはわかりませんが、周囲の雰囲気も気にしない様子から、彼は自分の気が済むまで話したことでしょう。自分の言葉が周囲には理解できないだろうから話の内容はバレないし、誰も文句を言わないことを良いことにして。
ちなみに、迷惑通話していた張本人はアフリカ系(?)の人のようでした。
現在、政府は、より多くの外国人の誘い込みに旗振りをしていますが、独自の地形国土で長年培われてきた日本文化と、国境を接しての争いや文化の混在・融合を繰り返してきた外国文化の折り合いについてはどう考えているのでしょうか?
どちらかと言えば「謙虚・控えめ」が美風とされる日本社会ですが、外国人は「自己主張・アピール」が第一のように感じます。そんな行動の対比の中で日本人が「耐える」ことを外国人が「攻めやすい、舐めてかかってよい国民」だと勘違いしないかと不安になります。
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