毎晩「ラジオ深夜便」をかけたまま寝ています。
最近、夜中、約1時間おきくらいに目覚めることが多く、
そんな時にラジオから昔懐かしいアナウンサーの落ち着いた声が聞こえると、安心して再び眠りにつけるからです。
担当のアナウンサーのお名前を聞くと、かつて夜7時台のニュースで聞いたお名前が多く、お顔も浮かんできます。
その「ラジオ深夜便」で、今朝、いま小児科学会会長をなさっている高橋先生がお話をされていました。
途中からだったのですが、母子家庭で育ったご自分がお母様から受けた教えのことや
ご自分自身の子育てのお話に触れておられる部分に聞き入ってしまいました。
一番共感を覚えて印象に残ったのは
「子どもが生まれることは『おめでたいこと』でなくてはならない」ということと、
「小児科の先生方は、患者である子どもたちやその母親に対してとても礼儀正しい」ということでした。
今、少子化ということで政府は女性に子供を産むことを"期待"しています。
女性たちは産むためには環境を整備し、子育てにかかる経済的な安定を保障せよと要求します。
そんな報道に触れながら、私は、何か違和感と不快感を感じていました。
そこには、子供の誕生を無条件に受け入れて喜ぶ【心】が欠けているように思うのです。
いま社会で「子ども」を話題にしている人たちは、
それぞれの子どもを一人の人間として尊重する視点に欠けていると思います。
それぞれの子供の幸せより、親である自分の幸せや国家の行く末への思惑が先行しているように感じてなりません。
そうした私の思いが、ラジオ深夜便で高橋先生が的確に言葉にされていて共感を覚えたのです。
私は夫を早くに亡くし、子育てに支援を頼めない環境で二人の男の子を独りで育てて三十数年になります。
振り返れば、我ながら背筋に冷や汗が流れるような危うい子育てだったと後悔ばかりです。
それでも、子供たちが中年に差し掛かった今になってやっと「子育ては楽しいこと」なのだと気づいたのです。
同じような話をされる高齢女性は、昔から数多く出会ってきました。
自分が子育て真っ最中だったころには実感できなかったその内容が、今なら解るということでしょう。
国の行く末が危ういから子供を増やせとか、自分の老後や財を託すために子供が必要だというのでは、
誕生の前から重責を担わされる子供が可哀そうです。
子どもは生まれてきただけで喜ばれ、生まれながらに備わった個性のままに受け入れられる存在だと思います。
これは、むかし子どもだった自分が「そうでありたかった」と思っていることです。
子どもがどう成長し、彼らの人生で何をしていくのかは、周囲があらかじめ決めるのではなく、
生まれた子どもの個性や意思を尊重しながら、その都度、柔軟に必要とされる支援をするのが
先に生まれた者たちが、後に生まれる人たちに対して向き合う時に求められる姿勢だと思います。
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