軽薄短小の時代

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かつてのような「重厚長大」が良いとは言わないが、

今の時代に見るもの聞くことのいちいちが「軽薄短小」になったと感じる。


命は"軽く"、情は"薄く"、気は"短く"、希望は萎んで"小さく"なった。



じゃあ、生きているのが無駄かというと、そうでもない。

積極的でもなく消極的でもなく、淡々と日々を暮らすのみ。

庶民の暮らしというのは、大昔から変わらず、それしかないのだと思う。


誰かの為に生きているのではない、自分の為に自分を生きているのだから臆することは無い。


ただ、今の時代の危うさを考えると、

垂れ流しのメディア情報に対しては用心と自重を心しなければならないと思う。

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このページは、tsuyuが2018年2月11日 11:14に書いたブログ記事です。

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