今朝の「モーニングショー」で知ったのは "救世主症候群" という言葉。
詐欺集団が、同情を誘うようなシナリオを書いて・演じて・高齢者から金品をだまし取るという話。
これにまんまと引っ掛かってしまう高齢者の話。
高齢で財産はそこそこあり暮らしの心配は無い。
社会とのつながりは疎遠で日々することも無い。
誰かから役割を果たすことを求められることも無い。
そんな年寄りが狙われるのだそうだ。
自分も何か社会貢献をして感謝されるなら・・・という満たされぬ想いに付け込まれるという。
この話を聴きながら「さもありなん」と思うことは多い。
救世主症候群、私に金品と暇な時間があったなら陥りそうな症状だ。
財産も金品も無い、暇な時間も無い(むしろ高齢になって忙しくなった)私で良かった。
他人に同情して何かしてあげたくてもできる状況にはない。
人間関係も最低限だし、新しい人間関係を築きたい性格でもない。
社会に貢献したいと思うより先に、自らの暮らしを維持することで精いっぱいの私。
詐欺師にまんまと騙されるくらいなら私を助けて、と言いたいくらいだ。
ことは何でも構わないから、
死ぬまで(したいことがある)(しなければならないことがある)ということは幸せなのだと、
今朝の "救世主症候群" の話題をながら聞きしながら思った。
衰え行く身体能力や精神力・判断力にムチ打ちながら働くのは大変は大変だけれど、ね。
人間は、適度な強制を強いられることも必要なのかな・・・とは、
最近しばしば私の頭に浮かぶこと。
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