やれ人工知能だの先進科学だのと、近年の科学の先走りに不安を感じる。
縄文時代は一万数千年前、古代エジプト文明だって紀元前4,000数百年前のこと。
それに比べれば、紀元後の記録が始まって2017年ほどの時代に生きる我々が、
生体的に縄文時代や古代エジプト人に比べて遺伝子的に格別の進化を為しているとは到底信じ難い。
むしろ、縄文人や古代エジプト人が生きて文明・文化を築いた時代の長さに脱帽するしかない。
人間が暮らしの煩雑さを緩和する為に機械を開発すればするほど、人間という動物は退化していくだろう。
縄文時代・古代エジプト時代から変わらない人間の人間たる特徴は「愛憎」の繰り返しで日常が過ぎていることだろう。
この「愛憎」は、果たして人工知能やロボットに再現できるものだろうか?
無機質な素材で組み立てられる疑似人間に「愛憎」を再現されても困るが・・・
人間とは何ぞや?という問いかけを忘れてしまったかのような現代が、むしろ恐ろしい。
感情を持つ動物の一種としての人間が、生きていることの意味を問いかけないままに突き進む時代が恐ろしい。
自然に対する畏怖、わずか百年足らずの命しか持たない生体としての謙虚さは忘れてはならない。
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