一時期、欧米式のディベートとやらがもてはやされ、
日本人も討論できるようにならねばという意見があったように記憶しています。
(今はどうなんでしょう?最近はあまりそういう主張を耳にしないようですが)
個人的には、このディベートとやらが好きではありません。
本来のディベートの目的は知りませんが、
どうも私は、相手を言い負かす為の言論合戦という色合いに嫌悪を覚えるのです。
私自身は、語りたいことがあると延々しゃべる傾向があり、
しかも理屈っぽいので敬遠される人間だったと自覚しています。
「・・・だった」と過去形にしたのは、
歳とった現在はもう、自己主張を声高に述べることに疲れ、議論を避けるようになっているからです。
また、ちかごろの会話はキャッチ・ボールにならないことが増えましたから、これが一番大きい理由かもしれません。
高齢者は、こちらの話は聞かないで自分の言い分ばかり語る場合が多く、
若年者は、こちらの話が分かったのか分からないのか言葉が返って来ず、
ただ黙ってこちらの顔をじっと見ているばかりのケースが多いのです。
話したいと思う気も失せようというものです。
他人の話はまず聴いたほうが良いと、私は思うのです。
相手の話を心のグローブで受け止め、しかる後、相手を傷つけない返球としての言葉を選ぶことが大切なのではないでしょうか。
返事の内容が否定的なことであればあるほど言葉は選ばなくてはなりません。
まあ、これらも、必要な会話はすべきものと思うか思わないかの問題が前提としてありますが・・・
最近は、他人と話さなくても構わないと考える人が増えているような気がします。
人はどんどん寂しくなるのでしょうね。
そして、人と話さないから相手が分からなくて疑心暗鬼が蔓延し、
悪意の蜘蛛の巣に易々と引っかかる事例が増加するのではなかろうかと、
老婆はひそかに危惧しております。
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