「教養」・・・学問・知識を(一定の文化理想のもとに)しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ。
ーーー岩波『国語辞典』よりーーー
先日、沖縄でヘリパッド移設工事に抗議する住民に、
警備支援に来ていた大阪の警察官が使った言葉が問題になりました。
今朝の新聞によると、
当該警察官(29歳と26歳)はその二語が侮蔑的な言葉であるとは知らなかったとのことです。
では、若い警察官二人が、なぜ、その言葉にまつわる歴史の認識もないままに使ってしまったのか?
どこでそのような言葉を覚えたのか?
私はそこに、近年の日本人の「教養」の低下を見たような気がします。
教養は、何も高等教育機関を修了せずとも、日常の暮らしの中でも心がけ次第で、
より高くより深いものの見方・考え方は誰でも身に付けられるものです。
その為には、古典から現代ものまで広く読書し、
謙虚に周囲の言動に向き合い、思考し、善きことを選択して身に付けようとする姿勢が大事です。
先人は多くの故事・ことわざを残しています。
それらが、現代においても「なるほど」と思えるような内容であることは一考に値すると思うのです。
そして、それらの故事・ことわざを我々現代人が日常生活に活かすためには、まず知ることから始まります。
故事・ことわざを知ることは、より良き生き方の選択に有益な指針となり得ます。
昔は、子どもたちが年寄りから、そうした故事・ことわざの多くを聞いて育ちました。
上記『岩波:国語辞典』の【教養】の説明で、(一定の文化理想のもとに)が重要で、
最近の日本に欠けているのはここではないかと思うのです。
そして、
【教養】を身に付けることの最終目標は(心の豊かさ)の醸成にあると考えます。
そういう意味で、近代社会は物の豊かさに反比例して心は貧しくなっているような気がしてなりません。
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