昨夜のNHKスペシャル「炎上が相次ぐニッポン 社会が "不寛容" に!? 不謹慎狩り・過剰配慮 いま何が起きている?」を視た。
相次ぐ不倫報道や疑惑追及報道、ネットをめぐるトラブルなどを取り上げてのスタジオ討論会。
番組後半で発言された「人間は基本的に不寛容なものです」という中野信子さんの言葉は示唆に富む。
私自身、15年前にインターネットを使うようになって、
交流の幅を広げるべく幾つかのネット交流サイトに登録していた時期があった。
オフ会とやらに参加もしたし、ネット上の掲示板への書き込みも頻繁にしていた。
見知らぬ人を対象の発信だということを意識しながら慎重に言葉を選びながら書き込みしていたつもりだった。
それでも、ネット上での攻撃を受けるという経験をした。
その経験から、いじめは現実社会ならずとも起きるものであることを知った。
ネット上で品の無いいやがらせをしてきた人たちは、オフ会で会ってみると、ごく普通の人たちである。
私の何を知っているわけでもないのに、ネットの掲示板上での攻撃は辛辣で自分勝手で下品なものだった。
「話せばわかる」・・・そんな言葉は美しすぎる。
話しても分らないのが人間。
許容・寛容があって初めて人間関係は表立った諍いなしに成り立って行く。
日常の利害関係が存在したり、頻繁に顔を合わせる間柄であれば控えめに振る舞える人でも、
顔が見えない体温を感じることもない画面上の交流の場では、
何とまあ辛辣で下品で無遠慮になれることか!!
そして今や、液晶画面上において文字のみでやり取りする世界が精神生活の大半を占めるという人たちが増加の一途。
現実の会話は成り立ちにくくなっている。
液晶画面上のやり取りは、自分に都合の良いように解釈したり、都合の悪いことに関しては平気で無視できる。
それは、どんなに自分のブログ読者やSNSの交流相手が多数でも、
真の意味で他人と関わっていることにはならないことを意味する。
自分一人の価値観や世界観に閉じこもり、その世界を壊される脅威を感じると、
即ネット上への書き込みで誹謗中傷で反撃するという短絡思考かつ短絡行為。
挙句の果ては、相手を害する現実行為としての犯罪に発展して悲劇を生む。
「お互いさま」「お陰さま」という許容や寛容は、ネット世界には存在し難いのかもしれない。
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