昨日、外出の帰り道で、同じマンションに住む高齢女性お二人と時間差ですれ違いました。
まず一人目は、
5-6m先にその姿を認めたので、私はご挨拶する心準備をしながら歩いて行きました。
すると、彼女は、私の目の前1-2mのところで私を避け、
頭を上げて真っ直ぐ前を向き、素知らぬ顔ですれ違って行きました。
避けたということは、対面で人が歩いて来ることには気づいていたということは確かです。
そして、それが同じマンション住民の顔見知りであることにも、気付いていたでしょう。
が、彼女は、あたかも気づいていないかのように振る舞ったのです。
もうお一人は、
2-3m先から私と目線が合うと微笑みながら近づいて来られたので、ご挨拶と短い会話を交わしてお別れしました。
こちらの女性は、お会いするといつも二言三言の言葉のキャッチボールがあります。
ま、この例のみならず、最近はいい年した高齢者でもすれ違いの挨拶をしない(できない)人が多く見られるようになりました。
向こうに人影を認識した時、「あ、嫌な奴が来た」と思うことはあります。
できれば会いたくない人物とも遭遇したりすれ違ったりすることは、生活していれば避けられないことです。
声に出して挨拶するのも厭だ、まして、簡単な会話を交わすのは真っ平ご免だと思っても、
せめて、会釈か目礼くらいできませんか?
それくらいは人間関係の行き違いを防ぐ最低限の礼儀だとは思いませんか?
一時期、【江戸しぐさ】というものがテレビで紹介され、専門家の解説が為されていたことがあります。
例えば、狭い道を傘差した者同士がすれ違う時には互いに反対側に少しだけ傘を傾けてすれ違う・・・とか。
それは、感情的な衝突を避ける為に日本人が身に付けた所作であり心遣いであったのでしょう。
そういう意味では、
なるべく他人と濃密な人間関係を持ちたくない現代人こそ、【会釈と目礼】は身に付けたい所作ではないでしょうか。
多くの言葉を弄するよりも、沈黙の所作が人の品格を示すことがあるものです。
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