最近しみじみ考える。
欲しくも無い子供だったけれど男子かもしれないという期待でこの世に生まれ、
女であったがために親の期待に副えず、貧しいがゆえに教育も疎かにされ、
自力の手さぐりで半端な青春時代を送り、
世間の常識とやらに沿わねばという思いで結婚した夫には若くして先立たれ、
幼児二人を抱えて母子家庭となっても実家が当てにできるわけでもなく、
きょうだいもそれぞれの暮らしの事情優先で私のことなど構ってくれるわけでなく、
定住を決めた土地は夫の仕事でたまたま住んでいたというだけで周囲に近しい人間関係は無かった。
無い無い尽くしの人生を歩んできた。
それでも不思議に自分のことを不幸だと嘆く気持ちにはならなかった。
「この困難をどうして切り抜けようか」という思いの方が先だった。
子どもの頃から独りで考え独りで行動してきた私は、人に頼ろうという考えは浮かばなかった。
その後現在に至るまで「あの人のこれが羨ましい」とか「この人のようだったら良かったのに」とは思わない。
端から無い無い尽くしの私の人生、何かを手に入れようと望めば自分で何とかするしかないことが当たり前だった。
そんな自分にとって、何が幸せなのかということに関しては常に考え続けてきたつもり。
財産も地位も名声も、あればあるに越したことはないだろうが、
それらは手に入れれば入れたで失う恐怖と奪われる疑心に操られる不自由さと背中合わせ。
未だに七転八倒の毎日だけれど、人生のゴールが近づいていることを自覚せずにはいられない。
世の中やれ「終活」だの「断舎利」だのと喧しいけれど、この世に遺して未練のあるものは私には無い。
唯一気になるのは子供二人の行く末だが、
それも、私がそうであったように自身の人生は自分が始末をつけて行くしかないのだから、
私がどうこうできるものではないと思っている。
還暦過ぎて我が人生を振り返る時、
安易に人を頼らなくて良かった、他人の幸せの基準を自分に当て嵌めなくて良かったと思える。
私の幸せの基準は私が決める。
私はいま、自分の手足で切り開いた自分の人生を肯定することができる。
そんな人生を歩んできた私がいま改めて言えるとしたら、
金銭や物は人を永遠に救うわけではないけれど、
温かく見守る誰かの言葉や眼差しこそ悩める人の永遠の救いになる可能性があるということ。
ま、それも期待するべきものではないけれど・・・
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