↓ 前回の記事を書いた時は、本の返却日が迫っていて慌ててアップしたもの。
借り出し延長して最後まで読み終えて、
下記の記事よりもっと深いところまで理解が進んだので、改めて記事を書いておこう。
古来、日本人の名前には難読のものが多々あったのだが、
明治時代以前の難読名とキラキラネームの難読さとの決定的な違い、
それは、命名に使われた漢字が含有する意味への理解と知識の差。
この本の著者が抱いたキラキラネームへの違和感を解明して行くと、
明治以降何度も繰り返された「当用漢字」「常用漢字」などの国語施策に行きつく。
本来、中国伝来の(漢字)と(やまとことば)の融合で成り立つ日本語は、
世界に類を見ないハイブリッド言語であり、その言葉の森は奥深い。
詳しく説明するには、私の言葉が追い付かないので、
この文章を読んで興味を持たれた方があれば、ぜひともご一読を。
私自身の感想としては、
たかがキラキラネーム、されどキラキラネームということで、
このまま日本語を疎かに扱う風潮が続けば、
いずれ日本人の教養度は地に落ちて行くかもしれないという想いを強くした。
ほんとうに、「幼児から英語のシャワーを!」なんて言っている場合ではないのである。
英語を話せるようになる前に、日本語の森に深く分け入り学ぶのが先だろう。
国際的に通用する人間とは、自らのアイデンティティが確立されてこそ。
アイデンティティは言葉と共に育つものである。
外国の歴史の中で発展した外国語より、
まずは、自分が生まれた日本の言葉の奥深さを理解するのが先でしょう、
と強く共感した一冊であった。
この本、本当は、
コメントする