「自分は特別」だと思わないこと

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最近の風潮に関して漠然と感じている"嫌な感じ"は何だろうと考えてみる。

暗に周囲の配慮を要求するようなやり方には反発を覚える。

そこに「私は特別なのだ」という無自覚な押し付けを感じてしまうから。



「私が一番不幸だ」

「私は大切にされて当然だ」

「私は尊敬される価値がある」などなど。

全て「私」中心の世界に生きる人の発想。



この世界は、あなたを中心に動いているのではないのですよ。



存在するものは全て、どれ一つとってみても『特別』なんてありゃしない。

一つ一つの生命が、それぞれ置かれた場所と条件の中で必死に命をつないでいるだけ。

自分の為に他者の犠牲を強いることなど、当然な行為であるわけがない。

もしも、やむを得ず他者を犠牲にしなければならないのであるなら、

そこに(赦しを請う謙虚な心)と(感謝の念)が存在しなければ、

その存在のあり方は傲慢としか言えないだろう。


「思い」「思われ」てこその社会の平安か、と。

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このページは、tsuyuが2015年11月19日 09:59に書いたブログ記事です。

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