インターネットで見つけたベビーシッターに、我が子二人を預けて殺されてしまった母親のニュース。
ベビーシッターの素性も保育施設となる建物も自分の目で確認することなく、大事な子どもを預けるその軽率さ!
仲介がインターネットという、いかにも現代的ないかがわしさは言うに及ばず、
かけがえ無い我が子を見ず知らずの他人に預けることに、親として、本能的な危険は察知できなかったのか?
近年とみに、人々に危険察知の本能が衰えていると感じる。
わが身に近付く車や自転車に対して避けようとする行動をとらない人は増えたし、
面白そうとか得になりそうと感じると、いとも簡単に飛びついて騙されるし、
電話だけの勧誘や詐欺にも、相変わらず多くの人間が引っかかる。
原因は何だろう?
やはり、思考(それも熟考)の習慣がなくなっていることも原因のひとつにあげられよう。
情報のほとんどをインターネットに頼る生活が常態化した人は、モニターに並ぶ文字を飛ばし読みしているのではなかろうか?
紙媒体の情報だと、情報を掲載した出版社や新聞社という所在の明らかな発信元への社会評価が参考になる。
隣近所の口コミは、それを話している隣人の人柄が判断材料になったりする。
現実生活の手ごたえを、自らの知恵と直感と思考でふるいにかけながら、
守るべきものを守れるようでなくてはならないのに・・・
亡くなった子供たちが哀れでならない。
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