昨日(9月12日)鑑賞の映画は デンマーク映画「未来を生きる君たちへ」 http://www.mirai-ikiru.jp/
世界中のどこかで、誰かが誰かの暴力の犠牲になっている。
それは、大人社会のみならず、複雑な社会の利害とは未だ遠い世界に生きる子供たちの間にも。
子どもが遭遇する心身への暴力の多くは、親からの虐待や教育環境におけるイジメであったりする。
この映画においては学校でのイジメに遭う少年二人とその両親たちを軸に、
受けた理不尽な暴力的仕打ちにどのように対処して行くのかが描かれている。
いじめられる辛さや悔しさを晴らすには「目には目を」の暴力しかないのか?
少年二人(主導は直前に母が病死した方の少年)の報復は過激な手段になって行く。
自分が理不尽な仕打ちを受けた時、仕返ししようと考えるかどうか。
仕返ししたいとしたら手段は何を選ぶのか。
到底許しがたい相手ではありながら、何も仕返しはせずに距離を置くことを選ぶのか。
究極のところ「赦し」はあり得るのか。
「赦し」はなかなか難しいと思う。
記憶に焼き付いた、恐怖を伴う辛く寂しく情けない感情の払しょくは、そう簡単ではない。
普通の人間がとり得る手っ取り早い方法は、結局、いじめる相手から遠ざかることしかないかもなあ・・・
でも、イヤーな記憶はついて回るし、折に触れ蘇るものなんだよなあ・・・
暴力からは何も生まれない。
そう思う。
先日から立て続けに見ているヨーロッパ映画のいずれも、
現代の問題点を描きながら結論を提示してはいないのが共通。
鑑賞した人それぞれで考えてくださいと言われているような終わり方。
私にとっては、それが好ましく思える。
コメントする