山口県周南で5人の殺害と放火をして行方不明になっている63歳の男性容疑者の件。
メディアによって次々に明らかにされる情報を視ていて思うことがある。
彼は15歳で故郷を出て、関東地方で長年働いていたという。
親の介護をすることと、故郷に骨を埋めたいという想いもあって帰郷した。
ところが、長年暮らした都会で、彼の何かが故郷の空気にそぐわないものになっていたのだろう。
彼は土地の人たちから避けられる存在で孤立していたようだ。
地方の村で孤立することは、都会で孤立するより、もっとずっと悲しく辛いだろうことが、
田舎育ちの私には想像できる。
長年その土地に住み続ける人たちで形成される(村)に受け入れられることは、
Uターン・Iターンを希望する人たちが考えるほどた易くはないということだろう。
最近は、業界や学問の世界でも、利害を一にする集団を(ムラ)と呼んだりしている。
どのようなムラ(村)であろうと、一旦結束した集団に、
異なる価値観を身につけた者が混じろうとしても難しいと思った方が良さそうだ。
たとえその人が、かつてはそのムラ(村)の一員であった過去があろうとも、
長い年月遠ざかっていたのなら、その人はもはやムラ(村)の仲間ではなくなっていると思った方が良い。
ムラ(村)とは、その中にどっぷり浸かって、暗黙のルールを破らずにいる限りは居心地の良い場所。
そのため、改善や発展とは遠くなりがちであろうことは否めない。
かつて、詩人 室生犀星はこう詠った、
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
[小景異情ーその二] より
ムラ(村)を出た(出ざるを得なかった)者の悲哀と覚悟だ。
私も、故郷を離れて早や40年近く。
もはや故郷は、私の思い出の中に「懐かしい状景」として存在するのみ。
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