広島県呉市の16歳少年少女の起こした殺人事件に関して、次第に事件の内容が明らかになっていく。
直近の情報では、自首した少女は遺体の損傷のひどさを目の当たりにして自首を決めたそうだ。
そのことから、
おそらく犯行に加担した少年少女は「人の死」に立ち会った経験が無かったのではと思われる。
最近では、身近な人の自然死にさえ立ち会う機会が減っている。
60-70代になって、親が亡くなることで初めて葬儀の喪主を経験する人も稀ではなくなった。
これまで体温があり呼吸もしていた人間が、パタリと息を止め、次第に体は冷たく硬くなって行く。
亡くなる人に愛着があればあるほど、その死に立ち会うことの衝撃は大きく、
その後の人生に何らかの影響を受けずにはいられない。
こうした経験がある人と無い人とでは、人の痛みに対する想像力にも大きな差があるだろう。
少年少女は、車の中に被害者を転がし、殴る蹴る踏みつけるを繰り返したという。
その時、そうした暴力を受けているのが「もしも自分だったら・・・」という想像力は、
誰の脳裏にも浮かばなかったのか?
自分たちと同じ16年の人生を生きている体を踏みつけていることに、
何の抵抗もためらいも無かったのか?
人の死に立ち会う経験だけではなく、最近は、生活全般における経験が乏しくなっている。
生活するということは、あらゆる分野の知恵を使わなければならず、行ったことは経験として積み重なる。
経験が積み重なれば、想像する力も養われてくるはず。
自分の体や知恵を駆使して真剣に生きなくっちゃあ。
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