http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201305290613.html
2013年5月30日付 朝日新聞オピニオン面に掲載された上記の記事を読んだ。
私は、12年前に初めてインターネットで意見を投稿するようになった。
ある中高年の交流サイトの掲示板だった。
それなりの年齢の集まりだから 良識 というものはあって当然との先入観があった。
しかし、その安直な先入観はすぐに裏切られた。
そのころはまだツイッターは無く、即時性の対話機能としてチャットがあったが、
私は考えを短文にして会話のごとくパソコンに打ち込むことに不安があり、
チャットは敬遠していた。
今も、ツイッターという発信形式に危惧を抱いている。
私の場合、掲示板への書き込みは、何度か推敲して送信していた。
それでも、一度ネット内で誤解され歪められた噂や評判が独り歩きする危険を、
身をもって体験することになった。
そんな経験をインターネット利用の早い段階でしたことにより、
インターネットの世界が、従来のメディアを通じた発信とは根本的に異なる性質を持つことを知った。
そうした自らの体験を踏まえて、
上記の 濱野智史さんのオピニオン 「あすを探る メディア 『裸の王様』に反省促す鏡を」を読むと、
深く賛同する部分が多い。
インターネットが今日の世界から排除できない存在になったことを否定するつもりはない。
しかし、インターネットがきっかけとなる新たな事件や事象が発生していることも否めない
濱野智史さんはオピニオンをこう結んでいる。
・・・・・(前略)自己を客観的に捉えるのは、古くから難しい課題である。インターネットという新メディアが普及し、情報の「発信」手段は大きく様変わりしたいまもそれは変わらない。情報化を遂げた今、次に生み出されるべきは自己の「反省」を促してくれる新たなメディアではないか。そう筆者は思うのである。
ネット世界であろうとリアル世界であろうと、
一歩退いて考える冷静さと謙虚さと礼儀だけは持ち合わせたいものである。
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