こんなことを言うから、
「傍にいると窮屈そう」だの「何かにつけて批判されそう」だという印象を持たれるのは自覚しているが、
日常で見聞きする人々の行動が「お行儀悪く」なっているのではないかと思う。
もともと日本人は、質素ながらも小奇麗な立ち居振る舞いを良しとしていたのではないか?
人の癇に障ることをズケズケ口にしたり、目につく物は手当たり次第に欲しがったり、
白日の下に晒すことは控えたほうが良いものやことを露出することに平気だったりして、
目を背けようにも背けた先にも同様の状況が展開していて、
つくづく すさまじい時代 になったものだと恐怖に似た 引き を感じる。
ウカウカ暮らしていると殺されて、有りか無きかの所有さえ身ぐるみ奪われそうな恐怖である。
中学生の時に、一人の先生がおっしゃいました。
「世の中にはね、そうだと思っても口に出して言ってはいけないこともあります」と。
先生のお宅は、元文房具やさんだった家を借りたもので、
双子のお子さんを含め三人のお子さんがいらっしゃって、
詳しい事情はわかりませんが、今この年になって思うと、かなり質素倹約な生活ぶりだったのでしょう。
元はお店だったので、道路に面しているところは中が見えるガラス戸でした。
そこに、柄が色々の布をはぎ合わせたカーテンを吊るして中の生活の目隠しにされていました。
それは、今風のパッチワークなどといった洒落たものではなく、
本当に有り合せの布を集めたと一目でわかりました。
その前の道路を生徒が通学で通ります。
ある日、その先生の授業の時間に、
一人の男子生徒が「先生の家のカーテンはつぎはぎでおかしい!」と皆の前で言いました。
その教師をバカにしてからかっていることがわかりました。
そのカーテンを知っている生徒もいて、教室内に失笑がもれました。
先生は一瞬 悲しそうな表情になり、言葉を探しておられるようでした。
そして出てきた言葉が上記の
「世の中にはね、そうだと思っても口に出して言ってはいけないこともあります」
だったのです。
未だに鮮明に覚えているこの出来事。
当時の私に相当なインパクトを与えたのでしょう。
先生の顔も、からかい発言をした男子生徒の顔もハッキリ覚えています。
人はパンのみにて生くる者に非ず
人間の精神生活の重要さと充実を説いたキリストの言葉です。
キリスト教徒のみならず、このことは人が生きる上で大変重要なことだと思います。
精神の尊厳は何人たりとも犯してはいけないし、喪ってはいけないものではないでしょうか。
件の先生のお宅のカーテンは、外から見ると粗末なものだったかもしれませんが、
その内側では、温かくて和やかで精神性の高い充実した家庭生活が営まれていたことでしょう。
それこそ豪華なカーテンを吊るすことより前に、人間にとっては重要な要素だと思うのです。
世の中が、拝金・即物的傾向を強め、その時流に我も我もと安易に乗ってしまう人が多くなるにつれ、
巷で見かける人間の顔つきや行為を「お行儀が悪い」という言葉でしか表現できないような時代になっていると、
私は思っています。
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