全ては虚しいことのように思えて、発言をためらってしまいます。こんな時間を積み重ねていて良いのでしょうか?否応なく、私は年齢を重ね、この姿でこの世界に在ることのできる日々は削られているというのに。少々の焦りを感じることもあります。
いろいろなことが人が、気がつけば壊れてしまっている。通じるはずの言葉が通じないもどかしさ。通じないどころか、まったく逆の反応を惹起してしまう場面が増えました。これを単にジェネレーションギャップと片付けてしまってよいものでしょうか?
今月、NHK 教育テレビ「100分 de 名著」という番組で、福澤諭吉の「学問のすゝめ」を読み解いています。それを視聴していると、私は、自分の拠りどころとしている考え方が明治時代の先人の教えであることを再確認させられます。(明治は遠くなりにけり)とは、すでに昔々に言われたことではありますが、(遠く)なったからと言って(古い)と切り捨ててよいものだろうか。(温故知新)ということもあります。かつて開国のときに国の叡智が自国の在り方行く末を案じて残した教えを、今こそ再びひもとく時ではないでしょうか。それも若い世代こそ。
自分は若い世代に何を引き継いでゆけるのだろうか?定年退職を目前にして、伝わらないもどかしさに苛立つこともあります。
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