国土保守は生活の根幹

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中国人が日本の不動産を買う勢いが増しているとのニュースに不快感を覚え、我が国は国土管理に甘さがあるのではないかと素人ながらひとり危惧していたが、なかなか報道の話題に上らないことが大きな疑問であり心配だった。

 

今朝のフジTVでこの問題を取り上げていた。

 

国土だ領土だと発言すると日本人は嫌悪感をあらわにする人は多い。個人レベルに置き換えてみたら良い。自宅の一部や所有地を誰かに貸せば、その領域は借り手の自由に使われ持ち主の思うようにはならなくなる。家主地主といえども、現在そこに生活を営む事実があると、取り返すには訴訟を伴うようなトラブルに発展することもある。

 

まして、国土となると、国と国との話。そう易々と外国人に土地を買いあさられて良いはずがない。絶対に外国人には不動産を買わせないということはできないが、国土保安上必要とあれば制約制限は決めるべきであろう。そして、しっかりと管理監督しなくてはならない。

 

私たちが安心して命つなぐ営みをしていられるのは、権利を守られた土地があってのこと。獣たちの世界でも、命つなぐ為には縄張りを死守する。ましてさまざまな策を弄する人間のこと、どのような手段で縄張りが侵略されるかわかったものではない。

 

同胞を冷淡に避けて外国人(特に近隣の国々)に対しては理解を示す人もしばしば見かけるが、自分の拠って立つところはどこなのか、今一度考えてみてほしい。無国籍的な国際人など尊敬される対象とはなり得ない。

 

日本では「協調性」が重要視されるのだが、これは集団への溶け込みであり埋没することが求められているように思われる。まずは確固たる個人があって、しかるのち周囲との距離を測りながら付き合っていけることが重要だ。こちらは「社交性」である。集団には「格」は無い。「格」を持てるのは一人一人の人間である。「人格」備えた人々の集まりだからこそ何かを為せるのであり、どんなに大きい集団でも「烏合の衆」では何にもならない。

と、これは今朝のNHK 教育TV「こころの時代・アーカイブス」で 故 森毅さんがおっしゃっていた。

 

個人レベルでは「社交」だが、国家レベルでは「外交」。何とかならないか、この国の社交下手・外交下手は・・・

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このページは、tsuyuが2010年10月24日 10:22に書いたブログ記事です。

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