ここ数カ月、職場に、英国から来た若者が週一回仕事に来ている。彼のルーツは日本。遺伝子としては純粋日本人。けれども彼は英語を母国語とし、教育は英国で受けた。
日本の社会ではいまだに、言葉が通じない相手とは距離を置く傾向がある。そんな雰囲気になじめないまま、中途で仕事を辞めていった外国籍の人を幾人も見てきた。
今回の若者には、そんな中途挫折をさせたくないと、呆けかかった頭にむち打ち、ほとんど忘れてしまった英語を無理やり引っ張りだしながら彼のサポートをしている。明朗な本人の性格もあって、幸いにも、今のところ順調に事が運んでいる。
おぼつかなくなった英語と日本語を交えながら彼と話して知ったのだが、彼は卒論テーマにアイヌを取り上げたのだという。そこには民族的な"差別"の問題も含まれていたようだ。どうやら彼は日本という国に来ることで自身のアイデンテティを追求したいという来日目的を持っているらしい。おそらく、外見はすっかりアジア人でありながら、イギリス社会で育つ過程で生じた何かに問題意識を抱いたのだろうと思われる。近年の日本の若者にはなかなか感じられない手ごたえを、イギリスからやって来た見た目すっかり日本人のこの青年に感じている。
残念ながら、この青年に、彼のルーツが日本であることに誇りを持たせられるような状況にはないというのがこの国の現状だと思う。それでも、何とか彼の助けになりたいと微力をつくしている。暗中模索ながら。
お久しぶりです。
何やら貴重な体験をなさっているようですね。久しぶりに,約10年前,テキサスの田舎町に留学していたときのことを思い出しました。そこは,大学と刑務所くらいしか働き口のない町で,普通の大人の日本人はほとんどいなかったせいもあり,かえって町の人たちと親しくなることができたような気がします。
不惑の年の日本人留学生を受け入れてくれる懐の広さには感謝しましたし,それがこの国の「国際性」を作っているのだろうと思ったものです。同級生の中には,かつて軍人だったお父上と一緒に外国に住んだという人もいて,外国に軍隊を派遣していることの良し悪しは別として,こうしたことでも,この国の人はよその国を知る機会があるのだなあと思いました。
日本が一番などとは到底思えませんが,「先進国の中でこんなことは日本だけ」という言い方が「気軽に」なされることにも抵抗を感じます。社会が違えば,その成員の求める価値も違うはず。それにしたがって違った社会制度ができているはず。それらを(もしかしたら意図的に)無視して,日本の「後進性」を強調しようとするレトリックは好きになれません。
何か,もともとの記事から離れて,勝手に自分の好きなことを書いてしまいましたが,どうかお許しください。
なもさん、お久しぶりです。
いつもコメント下さって、ありがとうございます。
今週火曜日深夜のNHKテレビ番組「爆問学問」では落語を取り上げていました。江戸時代の世相を映したその話芸には、当時の人々がさまざまな違いを排除の理由とせずに社会に組み入れて暮らしを楽しんでいた様子がうかがい知れるという内容でした。
また昨夜は、文明の先端をゆくアメリカ社会にあっていまだに文明を拒んで暮らすアーミッシュ社会とそれを許すアメリカの在り方をテレビ番組で視聴しました。国の常識や法がありながら宗教の自由を優先する生き方を許容するアメリカ建国以来の理念。その為に、つい最近ではグランドゼロの近くに建設予定のイスラム・モスクに対する賛否が大問題にもなっているわけですが。
いま私の職場に来ている英国育ちの若者との出会いが、私に「日本」という国を改めて考えるきっかけとなっています。
願わくば、彼が日本に関して適格な視点を得て、ルーツがこの国であることに誇りを持ちながら帰国できますように。