ヒガンバナが咲いていた。
あれこれと些細なことに囚われて、心が内向きになったまま、室内に閉じこもることが多くなっていた。こうして数年が過ぎ去り、体にも心にも贅肉がついて、軽やかな発想も動きもできなくなっている自分に気づいた。
なぜ囚われるのだろう。考えても仕方のないことに、なぜ執着するのだろう。過ぎてしまったことを「決着済み」として過去に閉じ込められないのは何故なんだろう。つくづく自分の性向がうらめしくなる。横着になりたい。切捨てることに罪悪感を持ち過ぎないようになりたい。それは必ずしも非道であったり冷血であったりすることではないのだから。自分が考えるほど周囲は弱くも可哀相でもなく、むしろ可哀相なのは自分だったのかもしれない。あれほど自分を犠牲にして相手のことばかりを慮ることはなかったんだと、後になってみれば分かる。だからかもしれない、クヨクヨイライラと過去の日々に囚われるのは。
いつの間にか私も人生の終盤にさしかかり、ここいらで生き方を変えなくてはと、遅ればせながら真剣に考えるようになった。命をかけなくては人生観の転換は図れないのは、人間誰しも同じことだろう。どういう状況で命がかかるのかは人それぞれだが。
自分の器量でまかなえる範囲で、自らの足で立ち生きてきた誇りを支えに、これからは毅然と凛々しく老いに向き合いたい。
ある日、遠くの枯れ木に一羽の鳥が止まっていた。長い時間、このままだった。気になって仕方がなく、デジカメの望遠を最大にして写した。この鳥は何を考えていたのだろう。
この少し前に、自分より体の大きい鳥を追い掛け回し追い払ったやや小ぶり(カラス?)の鳥 の姿を見た。何かを守ろうとしたのか?
自然には作意のないドラマがある。そして私もその自然の一部であることを感じる。人間のすることだって、愚かな作意や作為が一時的に通用したかに見えて実は何が不動の成功だったかは判らない。いや、それぞれの固体に100%待ち受ける消滅の日を考えれば「不動・不滅」の成功や幸福などありはしない。すべてはあるがままに。
お久しぶりです。
とても深いお話なので,軽口ははばかられるのですが,少し書いてみたくなりました。
88歳と84歳の両親は,身体的は目立った病気もなく,歳の割には健康と言えるでしょう。ただ,母は少し前から鬱っぽくなりました。「物忘れ外来」も受診して,認知症のおそれはあるとしてもわずかだと言われたのですが,本人は「何にもできなくなった」と言います。確かに,若いころのように頭の中で複数の家事の段取りを立てて,要領よくこなしていくというのは難しいようですが,個々の家事ができないわけではないし,もうそんなにあわてなくてもいいはずです。でも,そんな「衰え」が受け入れられないのでしょうか。
父は結構活動的な人だったと思うのですが,最近何となく無気力になり,暇になると寝てしまうことが多くなりました。かなり前から耳が遠くなっていて,補聴器を試したこともあるのですが,どうしても煩わしいようで,常用するには至りませんでした。母はほぼ普通に聞えるので,テレビを大音量にする父についいらいらし,父が「聞えない」と言っても,いちいち説明するのは面倒に感じるようです。
親不孝な なも は,新幹線で約600km離れた所に居るので,月に一度くらいしか帰省できないのですが,ようやく老いとはこういうものかと実感するようになりました。
何だか,元々の記事から離れてしまったようでまとまりませんが,このままお送りすることをお許しください。
なもさん、お久しぶりです。
先日、来年の手帳を買ったので、個人的に覚えておかなくてはならない年次を記入しました。私の誕生年、子供の誕生年、現職採用年、亡夫の逝去年などです。年々記憶があいまいになるので、これだけは新しい手帳を買うと必ず記入しています。
書き込みながら、自分が還暦に近い年齢であることに、ある種の感慨を覚えました。「思えば遠くに来たもんだ」といった気持ちと、それにしては若い頃から数歩も進んでいないかのような実感との隔たりに、少々とまどっています。
少し前までは、自分が周囲の人たちに与えるイメージや感情を極端に気にするあまり、いつもギクシャクしたり落ち込んだりしていましたが、還暦に近い年齢を意識するようになってからは、とにかく自分のことを一番に考えても罰はあたらないだろうと思うようになりました。
丈夫でいられる年数は限られてきました。今更、欲も得もなく、穏やかに、いまあるもので命をつなぎながら、生きている時間を楽しもうと考えられるようになったのです。
どなたかが「老いを迎え撃つ」とか「老いじたく」とかいう本を著されていましたが、おそらくその作家さんも、老いの入り口でご自分の変化と向き合われたのでしょうね。