名前は知っているけれど、その作品や主張を詳しく知らないという人物は多い。吉本隆明さんもその一人。はるか40年近くも昔、私より少し先輩たちが、毎日、学生運動で世間を騒がせていた時代の言論人くらいの認識しかない。
明日からは仕事だという4日の夜、NHK教育テレビで午後10時から1時間半、その吉本隆明さんの講演を聴いた。
人には出会いの偶然がある。ひょっとしたらそれは必然かも知れない。今回のテレビ視聴にも、何かしらの偶然または必然の引き寄せがあったのだろう。
「芸術は経済とは無縁なものなのだ」「太古の昔から人間は基本的なところでは進歩していない」「より多くの言葉を操るようになった現代人の芸術が古代人の芸術に勝っていると言えるか?」「興味をそそるストーリーを展開しながら人間の本質にせまる作品とは」・・・。実に興味深い内容が1時間半(実際はもっと長時間だったらしい)語られた。
吉本さんはご高齢で、体調も万全とは言い難い中、本人の希望で、糸井重里さんが講演会をコーディネートされたらしい。「話したいことがある」という本人の意向どおり、次から次に話は尽きるところを知らぬようであった。視聴しているこちらも引き込まれて、この時間に終わりが来なければ良いのにと思うほどだった。
「人間とは何か?」「なぜ生きているのか?」「どう生きるのか?」という自身への問いかけと言葉の関係。つまるところ沈黙こそが雄弁か。
私は今「『人間嫌い』の言い分」長山靖生:著(光文社新書)を読んでいる。大いに共感しながら。自分の主張をはっきり持つ人間は、どの集団へ参加しようと生き辛いのだと教えてくれている。自分なりの考えを持つことを止めて集団と流されても構わないとするか、それとも意に反する流れに押し流されることに抗うのか。昨夜の吉本隆明さんの講演に耳傾けながら、今の時代に要領よく適応できずとも、私は私でありたいと改めて思った。
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