美しいものを見て感動する。他人の不幸に接しては気の毒に思う。嬉しい時には素直に喜び、悲しい時には涙する。そうした感情の動きを情緒と言うのだと思う。
いま、「数学者の休憩時間」(藤原正彦:著 新潮文庫)という本を読んでいる。藤原正彦さんとは、あの「国家の品格」を著された方で、新田次郎と藤原ていのご次男である。
その本の中に、最近私が気になって仕方が無いことを文章にしてくださったような部分があった。それは、 "情緒" の重要性に触れられた箇所で、その中でも特に重要なのは 「他人の不幸に対する敏感さ」と「なつかしさ」であるとされている。
この二点に関しては、文脈の前後を全て書き写さなければ著者の真意は伝わらないと思うので、興味を持たれた方はどうぞ「数学者の休憩時間」をお読みいただきたい。人のあらまほしき姿やいかに生きるべきかの指針を見失ったかに迷走する現社会にさまよう人には何かを考えさせる本だと思う。
このごろ私は、いたるところでこの "情緒欠如" の人や状況に出くわす機会が多くなった。そうした人に共通しているのは "私利私欲" に関してはしっかりしていて、なおかつ "恥を知らない厚かましさ" は一人前以上であるように見受ける。己の行為を自省することなく、責めらるべきは常に自分以外だという意識の持ちようには恐れ入るしかない。
今晩たまたまNHK教育TV「サイエンスZERO:生活史から探る人類」という番組を視ていると、(人間とは他者の中に自分を見る存在)だと長年霊長類の研究をされている京大の先生が指摘されていた。他者とは、人的環境だけでなく物的環境や自然環境など自分以外のもろもろを指す。
人間は高度な脳の活動により抽象的な思考が可能となった。ということは、周囲の環境と自分との存在のバランスやこれから起こりうる事象の予測などができ、 "考える" ことによって困難や争いを避けることもできるはずなのだ。
こうした識者の指摘や警告も空しく、人々の心が荒んでいくように感じられて仕方がないこのごろ。
コメントする