このところ世界各地で大規模な自然災害が相次いでいます。ミャンマーのサイクロン被害、中国四川大地震、そして今回は日本でも。
ここ数年の間に世界中の人々の知るところとなった異変の数々もあります。アメリカのゴアさんが著した「不都合な真実」で一気に注目を浴びることになった地球温暖化による異変を、いよいよ身近に肌身で感じるようになってきたように思われます。
北極の氷が広範囲に融け始め、白熊は命の危機にさらされて絶滅の可能性が現実化。ヒマラヤ山脈の氷河が融けて湖を形成し、今よりさらに融氷がすすむと洪水を引き起こして麓のシェルパたちの村々が水没のおそれがあり、現在では研究者の手によって湖の水位の監視が為されている状況だとか。オーストラリアの砂漠化による農業の困難は日本の食糧事情にも影を投げかけているようです。
ここ日本でも、気象気候の変化は西から東へ移動すると思っていたものが、今年の梅雨入りは東が先行したり、西と東の天候の特徴が偏ってみたりしています。もともと南に生息するセミ(クマゼミでしたか?)が北上して発見されるケースが増えているとも聞きます。
別に諦めたり投げやりになっているわけではなく、そろそろ地球規模の大変動の時期に差し掛かったのかとも考えたりしています。
歴史を遠く遡ると、地球規模の大変動が全くの絵空事で無いことは、過去を学習研究することのできる人間には理解できます。理解できるということが却って恐怖をもたらします。過去に絶滅した恐竜などの動物たちはそれぞれの身の危険にさらされて予めの恐怖を抱いたのでしょうか?彼らの心や感情が化石になって残るものだったなら、そうしたことを知りたいと思ったりします。
この地球上に生きとし生けるものは全て「水と空気と土」によって生かされていると言っても過言ではないでしょう。それらを人の手でどうにかできると考えるのは人間の驕(おご)りではないでしょうか?
繰り返し申しますが、私は決して諦めたり投げやりになったりしているわけではありません。しかし、我々が全てを依拠しているところの地球そのものの大変動に対しては残念ながら有効な手立てはないかも知れません。
だからこそ、翻って「いま・ここ・これら」を大切に暮さねばならないと、そんなことを考えるこのごろです。
北極熊の危機の話は何かで読んだような・・・。
地球の気候は大昔から何度も大きく変動してきており。多くの人がいろいろ調べてきたけれど、変動の理由は確定できず、まだわからない部分が大きいらしいですね。
人類の排出する二酸化炭素説、太陽活動による説、などなどありますが、そんな事は専門家にまかせておいてと。
温暖化が確実に進んでいる事だけは実感できます。
現在東南アジア地域では急速な経済発展により地下水が大量に汲み上げられる為の地盤沈下が問題視されています。
メコンデルタ地帯でも海水が逆流して、農作物や生態系に深刻な被害がでています。
昨今の気候変動も驕った人類に対する神の警鐘と受け取るべきですね。
今度の地震、日に日に悲惨な映像が目に入ってきます。
んっ?匿名さん?Ongさんかな?
>人類に対する神の警鐘と受け取るべきですね。
そのように受け止めたほうが良いと私も思います。
機械や技術の進歩発達で人力を駆使することから遠ざかるほど、
人は『謙虚』や『まめまめしさ』から遠くなってしまったような・・・
>今度の地震、日に日に悲惨な映像が目に入ってきます。
地方の山間に発生した地震だったので、被災された人や家屋等の
救出が難航しているようですね。多く水を含んだ泥に大型機械も
使えない場所では、人海戦術の救助活動のようです。
まだまだ余震の注意が出ているので、二次災害も心配です。