むかし使っていたメモノートに、自分の死生観のような文章を書いていたのを見つけた。それを読むと、私の人生観や死生観はそんなに変わっていない。
「死後、私は土になりたい」
中学生の頃に読んだパール・バックの『大地』という小説の読後感として
「大地より生まれ出でたる我が命 果てたる後は大地に帰れ」
という短歌に読んだ。
いまだにその思いは変わらない。
近年は、荼毘の後の骨を骨壺に収めて保存するのが一般的だけれど、私は土に返してほしい。墓石の下でコンクリートで固めたスペースに、骨壺に収められて保存されるのは嫌だ。
火葬場で出る死者焼却の残り灰はしかるべき場所で廃棄されて土になっているのかもしれない。私は、私の全てが焼却灰として土に戻されることを望んでいる。
私の死生観は、たとえ人間であっても、息を引き取った瞬間から循環リングの一部として土にかえり、そこから新しい命をはぐくむ素材となればよいというもの。後々の人が扱いに腐心するような形で残りたくはない。
全ては無から生まれ無にかえるのが自然であり、自然の一構成員である人間とても"永遠"を願うのは傲慢なのだと思う。
「土になる」そのことが私の最終願望である。
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