『スマホ脳』を読みつつ考えたこと

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話題の本を読んでみようというわけでもないのですが、いま『スマホ脳』(アンデシュ ハンセン:著)を読んでいます。




哀しいかな、最近とみに集中力と記憶力の衰えがひどく、読んだそばから内容が消えてしまいます。そんな状態であっても、読んでいる間は何かを考え感じているので、それで良しとします。




休憩時も移動中もスマホから目を離さない人々の姿は、もはや日常となっています。「そんなに四六時中、連絡を取ったり情報を検索したりゲームを継続したりしなくてはならないのか」私は未だに不思議でしょうがありません。あくまで私個人の傾向としてですが、できるだけボーっとできる時間を持ちたいというのが本音なので「常に視覚から入る情報に脳の活動を刺激されると疲れませんか?」とスマホから目を離さない人たちに訊ねたくなります。



『スマホ脳』の内容の中に、常時新しい情報に接していると人間の集中力は削がれると書かれていました。また、スマホの中毒性は(最新のドラッグ)だという表現もありました。目に見える形で異常行動や健康への害を引き起こす薬物ドラッグと違い、スマホが人間に及ぼす害は一見しただけではわかりにくいです。でも、確実に世界中の大多数の人間はスマホによって"何か"を"(身体の)どこかを"浸食され始めているように思われます。



もはやスマホは手放せない。スマホやデジタル機器は無くせない。そんな時代なのでしょう。そうではあっても、そうだからこそ、人の意思でそうした機器から距離を置く時間を持たなくてはならないのだと強く思います。なぜなら、原始時代の人間も現代人も生物としての機能に関してはそれほどの違いは生じていないのではないかと思うからです。



生身の人間は一度に処理できる思考や行動には限りがあります。まして、それらを深く細かく丁寧に処理しようと思えば「集中力」が必須です。その「集中力」をスマホは奪ってしまうらしいのです。それでなくとも、高齢になると「集中力」と「記憶力」は失われて行きます。これはこれで死というピリオドに向かう為には必要な衰えかもしれないと私は最近思うのですが...



まあ、市井の一老婆がこんな危惧を抱いて発言しても、怒涛の如くデジタル化していく世の流れには何の影響もありませんが、生き物としての私の直感は赤ランプを点灯しています。

今こそ、それぞれの人間が内包している【野生の感覚】が試されているのではないでしょうか。そして、その感覚の継続保持こそ今後の人類安寧へのキーワードになるかもしれません。

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このページは、tsuyuが2021年7月28日 08:23に書いたブログ記事です。

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