このところ、古書店で買った何冊かの文庫本を最後まで読んだ。
年齢のせいか、構えて『読書』するには根気も気力も失せてしまっているようだ。
古書店の棚に並ぶ背表紙を眺めるが、なじみのない近年の作家の本には手が伸びない。いちいち手に取ってサラサラとでも内容を確かめてみようという探求心も薄れていて、最後は、昔から知っている作家の本に落ち着く。
そんな作家の一人に佐藤愛子さんがいる。彼女の書き物を読んでいると、まるでこちらの気持ちを代弁してくれているような心持ちになる。歯切れ良いけれど高慢ではない文章が好きだ。
昨日、遠藤周作を読み終えて、今朝、読み始めたのが 佐藤愛子:著『日本人の一大事』。2004年刊行の作品だそうだ。ということは、16年も前の記述になる。なのに、のっけから、今の私の気持ちを代弁してくれているような箇所に遭遇して、ここに引用して残さずにはいられなくなった。
ーーーここから引用ーーー
「共通の感性が育っていない土壌に言葉は咲かない。実らない。だが言葉に頼るしかない今は、老兵は死なず消え去りも出来ず、黙って絶望を呑み込んでいる」
何年か前のエッセイで私はそんなことを書いている。今も全く同じ心境ですよ。
しかしね。考えてみるとそういう感性が今の若者から失われたのは、やっぱり物質文明のただ中に生れ育った人間の、なるべくしてなった姿だということになるわね。
ーーー引用終わりーーー
この「日本人の一大事」が執筆された当時、佐藤愛子さんは80歳。2020年の現在は御年97歳にもなんなんとされる。たまにテレビや雑誌などでお見かけすることがあるが、私も年齢を重ねるならあのように・・・と思わせてくれる姿である。
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