カタカナ語の濫用は何故なのか

| | コメント(0)

 最近気になること「カタカナ言葉の濫用」。

 日本語は(ひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字)と表現手段豊富な言語。漢字は目にするだけで何を意味するのか解る。"アラート"というより"警報"と言ってもらったほうが切迫感が伝わると思うのだけれど。それをなんで"アラート"にしなければならないのか。わからない・・・


 自分が生まれ育つ過程で人格や知識を形成するために手段として使用した言語は、粗末にしてはいけないと思う。あの言葉もこの言葉も使えることを理想化し過ぎないほうが良いと思う。


 私は日本に生まれた日本人だから、日本語が大切だし、自分の感情を自然に表現できる日本語が大好きだ。

コメントする

このブログ記事について

このページは、tsuyuが2020年6月 9日 15:10に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「タチアオイの蕾が」です。

次のブログ記事は「「ごてんご」なのか「ごぉてんご」なのか」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

2023年12月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別 アーカイブ