小学校5年生だったか6年生だったか忘れた。何の授業だったかも忘れた。教師の質問は「将来何になりたいですか?」という、子供に対して発するありきたり過ぎる質問だった。
私はその時考えた。今もなお、その時に考えた自分の思考過程も、朧気ではあるが思い出せる。 本当は「外交官、弁護士、新聞記者・・・」などと答えれば教師の設問意図に沿った答えになっただろう。それは分かっていた。しかし、自分の置かれた家庭環境を考えると、とてもその高みに到達できるような親の支援は無理というのは分かっていた。夢は夢でしかない。
その時私の頭に浮かんだのは、女児の将来として一番一般的で周囲に受け入れやすい社会的な立ち位置は(主婦)であり(母親)であった。
当時は仲人を半ば仕事のようにしている人がいて、独身の男女がいればお見合いの設定をして結び付けていて、どんなに出会いの無い男女でも誰かしらと結婚して所帯を持てるものだと思っていた。
私は変わり者だった。親も兄姉もそのことを悪しざまに本人の前で口にするような無神経さだった。そのせいで、私は到底まっとうに社会人にはなれないものと思い込まされていた。
女なら誰でも、成人すれば誰かが口利きして嫁入りし、子供ができて家事・育児をする、そんなことが当たり前のように思わされていた時代だった。
母親なんてその気になれば私でもなれる、そう思ったのは世間知らずの子供の考えだったとわかるのは自分が母親になってからのこと。
私の「普通の母親になりたいです」という答えに教師や同級生がどんな反応を示したかは思い出せないが、こう答えたことは私の記憶に鮮明に焼き付いている。
長じて、私は辛うじて妻になり母になった。妻であった期間は短かったが、もう40余年ものあいだ母親を続けている。今は、何を考えるにも子供のことが第一というれっきとした「普通の母親」。
小学校高学年の時、あまりにも陳腐な教師の質問に対して、奇をてらって答えた「普通の母親になる」という答えが、今は現実の姿となっているのだ。そして、これが一番幸せな私のあり方だったのだとしみじみ振り返ることがある。
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