そのニュースを聞いたのは16日未明、「ラジオ深夜便」の放送中の速報でした。
「ノートルダム大聖堂が火事になっています」という内容に耳を疑いました。
しかし、翌日のテレビニュースで伝えられる映像を見て、それが現実のことだと知らされたのです。
行ったこともない、住んだこともない、フランスとの接点もないのに、
燃え落ちる尖塔の画像は衝撃であり心が痛んだのです。
何故か・・・
それは、テレビで見た現地の女性のコメント
「ノートルダム大聖堂の焼失は、まるで母親が突然いなくなったような悲しみと似ています」
という言葉に表れているフランス国民がノートルダム大聖堂に寄せていたであろう感情を想像したからです。
人は(心の拠り所)と呼べる何かがあれば、多くの苦難を耐えて乗り越えられることがあります。
おそらく、かの国の人々にとってのノートルダム大聖堂は、そんな(心の拠り所)だと思われます。
それは、国が異なっていても、対象となるものが違っていても、同じ感情行動です。
私は過去に何度も、そうした個人的な感情を踏みにじられる経験を重ねてきました。
今回のノートルダム大聖堂の火事は、
個人的な私の経験などとは比較にならない規模の大きさと影響の広がりがありますが、
心の痛みという視点でみれば、個人ひとり一人がそれぞれ悲しみや喪失感を抱くわけで、
その観点から、私がフランスの人々の心を自らの心的経験に重ねて同情の念を表明しても
全くの間違いではないと思います。
大切に思ってきた対象を失う切なさ辛さ・・・
永遠とか永久を誰かが保証してくれるものではないし、
永遠・永久が本当に可能なのかどうかも疑わしいところですが、
人々の心の支えだったノートルダム大聖堂が火の海に包まれてしまったあの光景が、
何気なく日々を過ごしていた多くの人々の心を悲しみの黒いベールで覆ってしまったことは確かでしょう。
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