義兄の訃報が届いて、まず私が思ったことは「片道二時間かけて、しかもお通夜と葬儀参列はできない」ということでした。日々の仕事に穴をあけないことだけを目標に、他のことの殆どを最低限で過ごしている日々です。もはや義理を欠くことも已む無しという覚悟のこのごろです。
でも、ふと気づいたのです。仕事帰りに少し頑張ればお通夜だけでも顔を出せるのではないかと。
何事も早合点の早とちりが私の悪い癖です。端から「ダメ」と決めたら「ダメ」、「OK」なら「OK」と即返しするのではなく、「考えてから返事します」と言わなければと何度反省しても身につかない行動パターンです。
結局、仕事帰りにお通夜だけは顔を出したのですが、行って良かったと思っています。疎遠になっていた義次兄夫妻や義甥たちと親しく話せたことで、疎遠が長引くことで勝手に私の中で膨らんでいたわだかまりが解消されたような気がします。
高齢者が最期に果たす役割は、普段遠ざかって暮らしている縁者の縁を葬儀の場で再び結ぶことのような気がします。
義兄は八十八歳でした。郷里を遠く離れた地で孤軍奮闘してきた私の心の支えだったのだなあと、日に日にその喪失感が募っているのを感じます。
何度繰り返しても「これで良し」というお別れはできないものです。
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