外国語を学ぶなら文化と並行して

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 最近小学校低学年から英語を必修にしようという動きがあるようですが、私はとても賛成できません。


 言語は文化や社会活動の表現手段であり、表現する内容への自覚(アイデンティティー)も育っていない子ども達に一律に外国語を教えて実用に耐える会話ができるのであろうかという危惧を感じるからです。しかも、ネイティブの教師に「自分は日本人に英語を教えているのだ」という語学指導者としての自覚がどれほどあるかも疑わしいと思っています。


 また、英語授業を補助する小学校教師に、英語圏や外国への理解や知識がどれほどあるかも問われると思います。なぜなら、担任日本人教師はネイティブ講師と児童との間を取り持つ役割が求められるのは必至だからです。


 幼い頃から外国語を学ばせるのなら、その言語が使用される世界の国々の文化や思考と日本との違いも同時並行で教えながら、子供たちの(アイデンティティー)は日本という国にあることを自覚させながらの授業でなくてはならないのではないでしょうか。


 安易な外国人労働者の受け入れ拡大や英語授業の低年齢化等、中央政府はこの国をどうしようと考えているのかと首をかしげたくなるような施策が次々に打ち出されて不安が募ります。

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このページは、tsuyuが2018年11月28日 18:57に書いたブログ記事です。

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