自分のブログでは、できるだけ自分の言葉と文章で思いを公表したいと思っていますが、
時には、自分では、適切かつ分かりやすい表現ができないけれど、
私の思いを代弁してくれていると思われる文章に出会うことがあります。
他人の文章を引用することは、できる限り避けるべきではありますが、
自分の備忘の為にも、ここに引用して残させていただくこともあります。
今回は、そうした考えに基づいての内容になります。
最近、自覚するかしないかにかかわらず、生き辛さを背負っている人が多くなっています。
何故なのか・・・それを文章で表現したかったのですが、私の力ではなかなか難しいことでした。
そんな時に読んだ一文です。
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切り抜き日時:2018/4/29
掲 載 誌 :「週刊文春」
掲載ページ :p.124 文春図書館 (文庫本を狙え!)坪内祐三:著
取り上げられた書名:『夕暮れの時間に』 山田太一:著 河出文庫 780円+税
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以上の出典情報を明示しておきます。
また、引用文は文字色に色付けをします。
(ここから引用)
山田太一のエッセイを読んでいると、ある一点を除いて、自分と同世代人でないかと錯覚してしまうことがある。
例えば山田氏は(そして私も)今だに手書きである。
〈手書きの私信が激減するのは、あっという間だった。それは目の前の景色が見る見る概念に変わったような当惑だった。情報量ががたりと減った。手書きの文字なら書き手の性別も年齢も教養も性格も体調だって感じられる。それが一気に無表情になった〉
------- 中 略 -------
一番共感を覚えたのは「適応不全の大人から」のこういう一節だ。
〈私にはこのごろのテクノロジーの変化が病的に早く思えてならない。静かにその時々の変化や成果を味わう暇もなく、どしどし神経症のように新発明新ツールが次々現れては現在を否定する。その結果の新製品、新ツールも病的に細かい変化で、なくてもやっていけるものばかりどころか、ない方がよかったのではないかと、少し長い目で見ると人間をこわしてしまうような細部の発明を目先だけのことで流通させてしまう〉
(引用おわり)
少しばかり不便でも、もっとシンプルで、人の気持ちが発するテレパシーを感じることができるような静かな社会に暮らしたいと切に願うようになったということは、私も【夕暮れ】だからでしょうか。
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