先日、養老孟司さんの「遺言」という本を買った時に一緒に買い求めた本がある。
「西田幾多郎 無私の思想と日本人」 佐伯啓思:著 新潮新書
哲学というと、何か小難しい学問だと敬遠されることが多いが、実は違う。
如何に生きるかを考えること、すなわち哲学であり、
全ての人は生きている以上自覚せずとも日々哲学を体現していると言える。
では、哲学者として知られる著名人の著作に何を学ぶかというと、思考の道筋を参考にさせてもらうというほどのことだろう。
人はそれぞれゼロからスタートして、その生を終えるまで、
面倒くさくなったからと誰かに人生を肩代わりしてもらうことはできない。
地球上の人類の歴史が何千何万年であろうと、個人の歴史は長くても百年である。
その限られた時間内で「いかに生きるか」と考える時間は限られている。
全ての人が自分の人生観を手探りするしかないのだが、
その暗闇に道しるべの明かりを灯してくれるのが哲学者と呼ばれる先人の言葉の数々であろう。
そこに万人共通の答えがあるわけではない。
それぞれの人が自分の腑に落ちる言葉を選んで自らの生き方の参考にするしかない。
哲学とは、それで良いのだと思う。
「真実一路の道なれど 真実、鈴ふり、思い出す」
まさに今、西田幾多郎の「哲学の道」を(京都にある名所ではなく)頭の中でたどりながら、鈴を振ってみようと思う。
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