老人の扱いにくさは人格とは別物

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昨夜の「深層NEWS」(BS日テレ)のテーマは「老いた親の困った行動 理由知り解決・予防へ」だった。



落語にも出てくるような頑固で偏屈な年寄りは、昔も今も変わりなく存在する。

それでも、落語の中では「適当にあしらい」ながら付き合っている様子が見える。

「しょうがないなあ、あの年寄りは・・・」とぼやきながらも、

いずれは自分も辿る道という前提がないと「あしらい」はできない。



「深層NEWS」で語られていたのは、

老人の困った行動は、その老人の人間性がもともとそうだったというのではなく、

頑固さや反応の悪さは人体の変化から生じているものであるということ。



老いれば老いるほど、誰にもどこかしらに不自由が生じる。

これは動植物の別なく、生身で生きているものの逃れられない宿命。

不自由が生じれば、若々しかった頃と同じことはできなくなるわけで、

本人にとっても周囲の近しい者にとっても「こんなじゃなかったのに・・・」という失望と苛立ちは大きい。



死生観の涵養・・・老いを受容するには、早いうちから心の軸足をここに置いてものごとにあたる習慣を身に着けることが重要だと思う。

否でも応でも、いずれ受け入れざるを得ない『その時』は誰にも来るのだから。



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このページは、tsuyuが2018年1月30日 20:32に書いたブログ記事です。

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