戦後の物のない時代からバブル絶頂期のころ、
我々の思考は「あれが欲しい、これも欲しい」のプラス思考だった。
隣がいい車を買った、テレビを買った、洗濯機を買った、家を買った、うちでも欲しい。
そうして、大物から小物まで、暮らしは物で溢れかえるようになった。
今は、片づけられない汚部屋が話題になり、
断捨離とやらで如何に物を減らすかが人々の関心事。
その一方で100円ショップは大盛況。
あれも100円これも100円で大量買い。
せっかく断捨離しても、身辺はまたまた物で埋まっていくというお粗末。
物に限らず、新しい場所に新しくやって来た人間が、自分発想の新しい事を始めたがる例も多数見てきた。
イベントや仕事内容の見直しは結構なことだが、
まったく新しい事を始めるのはその場所で最低でも一年過ごしてからにしたほうが良いと思っている。
それまで何の不都合も無く推移していた場所で、することが増えるというのは負担なものだ。
それに、始めた人が最後まで責任をもってくれるわけではなく、
次にその場所に来た人は「前からやっていることだから」と言われれば止められない。
そうして、こなすべき仕事や年中行事はどんどん増え、携わる人間の負担は増加するばかり。
新しい物や事が本当に必要であるか否かの判断が足りないのではないだろうか。
物を買うにも「本当に使うのか?」を考えて買うようにと、片づけの識者の言葉。
事を始めるにも「代々受け継ぐ意味のある提案か、そのことをできる余裕のある環境か」を考慮しなくては、
後々の負の遺産になり兼ねない。
イケイケドンドンで成長を続けてきた社会も、今は低レベルで停滞気味。
これもあれものプラス発想をするより、当節、無くてもよい物や事柄を整理する時代ではないか。
よりシンプルな生活環境や仕事内容で自分たちの負担を軽減する方向に向かわなければ、
いずれは自己破綻の道を辿りかねないと見ている。
現状に何かを足して表面だけ取り繕うのではなく、
整理統合をしてスッキリさせたほうが動きやすいし暮らしの満足感も高まる。
マイナスという言葉は、決してネガティブな意味合いだけではない。
これ、長年勤めた仕事現場の体験から導き出した私論。
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